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《Syrian Arab Republic / Al Jumhuriyah al Arabiyah as Suriyah》
(2001年元旦撮影) 写真左が、次男で現大統領のバッシャール・アル・アサド氏
パパ・アサド大統領時代、アサド親子の写真(パパ・アサド、長男バーセル=事故死、次男バッシャール)とパパ・アサドの写真は、街中溢れていた。国民の数よりポスターなど写真が多いのではないかと、思ったヨ(1996年6月)。 パパ・アサドが亡くなり、後継者で次男のバッシャール・アル・アサド氏が大統領になると、アサド親子の写真は劇的に減った。「属国化」していた隣国のレバノンからは、彼らの写真がほとんどなくなった。 次男のバッシャール・アル・アサド氏は、ダマスカス大学医学部卒業。ロンドン大学で眼科医になるべく勉強をしていたが、1994年1月に、兄のバーセル氏が事故死したため、帰国(29歳)。思慮深い性格と言われる。ホムス士官学校装甲車科士官訓練コースに入学して、軍歴を作った。1999年には大佐に昇進する(34歳)。 2000年6月10日、パパのアサド大統領の死去に伴い、陸軍大将に昇進。翌日、軍総司令官に任命される。ご結婚は、2001年元旦。お相手は、英国生まれのシリア人女性のアスマ・アッハラスさん(スンニ派)。ハーフェズ ・バッシャール ・アサド君が誕生した。 因みにパパのアサドの子供は、長男バーセル=事故死、姉:ブシュラー、次男バッシャール、三男マーヘル、四男マジドがいる。 バッシャール・アサドが大統領になると、実弟(三男)のマーヘル・アサドは、バース党中央委員長兼大統領護衛隊長に就任する。 2003年3月、米英がイラクへ侵攻した前後から、アメリカは、レバノンの旧宗主国フランスを誘い込んで、「レバノン領内からシリア軍の完全撤退」を要求し始める。2004年10月、シリアのバッシャール・アサド大統領は、古参の側近の反対を押し切ってレバノンに介入。議会に圧力をかけて憲法を改正させて、親シリア派のラフード大統領(マロン派キリスト教徒)の任期を延長した。 実弟(三男)のマーヘル・アサド氏と、従兄弟で実業家のラミ・マフローフ氏は、ラフード大統領の利権でボロ儲けをしていると噂され、その私欲を守るための措置か?と言われている。 ラフード大統領の政敵であったレバノンのハリリ首相(スンニ派イスラム教徒)は、親シリア派から反シリア派に鞍替え。そんな中、2005年2月にハリリ首相はベイルート市内で爆死(暗殺)してから状況が一変した。 アメリカ当局は「暗殺の黒幕はシリア政府」と決めつけている。シリアの「民主化」を求めて、とりあえず、アサド政権の打倒を画策している、と噂されている。
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