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《Serbia and Montenegro / Србиjа и Црна Гора》
この日は翌8日未明まで、ベオグラード市内各地で爆発音が鳴り響き、空爆開始以降もっとも激しい空爆だった。空爆の直前、ベオグラード市内は、停電になった。この停電は「炭素繊維チャフ弾」をばらまき、人為的に暗闇を作り出した、との噂もある。NATO軍用機はピンポイント爆撃を繰り返し、セルビア当局は対空砲を放った。 NATO軍用機が投下した爆弾は、ノヴィベオグラード地区、中国大使館近くのホテル・ユーゴスラビアの駐車場にも落ち、一階のカジノ(アルカンが経営)も被害を受け、死亡者は1名。軍参謀本部と、道の向かいのセルビア共和国政府、連邦内務省も、またもや空爆された。 さて、のちに「正確な誤爆」と揶揄された中国大使館誤爆事件はこの日におきた。※真相は藪の中…
(2002年9月撮影) 少なくとも3発の精密誘導弾が直撃 1999年5月8日真夜中の0時頃、中国大使館側に5発の精密誘導爆弾が落ちた。大使館には職員のほか複数の通信社の特派員を含む約30名がいた。何故か、国営新華社通信特派員・光明日報特派員などは大使館内に宿泊していた。中国大使館周辺は広い敷地(更地というか野原)になっている。 犠牲者は、大使館内にいた新華社通信特派員1名、光明日報特派員2名(夫婦)、軍駐在武官は重傷。20名が負傷した。 中国国内では、激しい反米感情がわき上がった(中国の学生デモ、「世界人民不可欺 中国人民不可停」、北京のアメリカ大使館は投石の嵐)。もっともこの反米運動も「中国公安当局がバス等の足を用意して、若者の集団をアメリカ大使館前まで送った、等々」とインタネート上で暴露され、反米行動を煽っていたのがバレている。 人民日報の関連記事(日本語)
(2002年9月撮影) NATOは「空爆の目標はユーゴ全土の軍事施設のみ」として、人道的軍事介入を行っていた。何故、大使館が標的にされたのか! NATOとアメリカ(クリントン政権第二期目、コーエン国防長官)は、下記のように弁解している。 (1)使用した地図は、ユーゴが'89年と'96年に作成した地図、米国家地図局が'97年に作成した地図の計3枚。これには中国大使館の位置が書かれていない (2)米のデータバンクに欠陥:在ユーゴ中国大使館の新住所が、米情報と軍事部門の目標データバンクに入力されておらず、アメリカが撮影した衛星写真も標識を表わさなかった (3)ターゲット特定の後には5段階のチェックがされるが、これが充分機能しなかった つまりNATOとアメリカは、在ユーゴ中国大使館ではなく「新ユーゴ連邦軍需品供給購入局」(兵器調達庁、場所も公開された機構)として狙ったと発表。標的選定をめぐる「人為的ミス」と説明、謝罪した。 1999年6月18日付け の「人民日報」では、下記のように一喝、中国側は納得しなかった(中国当局は6月16日発表)。 (1)在ユーゴ中国大使館は、中国大使館は1995年に竣工して、この地に移転した。開館パーティーにはアメリカの外交官も招待されていた。移転後4年を経過し、多くの地図に在ユーゴ中国大使館の位置が正確に載っている。このことを米側も認めている。しかも中国大使館が建つまでの間は、沼地/荒れ地などで、目立つ建物は何もなかった。 (2)アメリカがユーゴ連邦を武力行使するため長期にわたって準備されていた、アメリカの情報収集能力がそのように未熟なものとは考えられない、等々。 アメリカ政府は、中国大使館を、新ユーゴ連邦軍事施設と“誤認”したCIA(米中央情報局)職員3名のうち1名を解雇、2名を戒告の処分にし、米中間での賠償交渉を行い、一応の決着を見た。 '99年7月30日、在ユーゴ中国大使館誤爆事件で、アメリカは中国に対し、450万ドル(約5億4000万円)の賠償金を支払うことで合意。この空爆でNATOが唯一支払った賠償金であった。 中国政府は、アメリカ政府に対して「大使館再建費用」を請求しているが、アメリカ政府は拒絶。よって中国大使館は、爆撃時の状態のままである。 The Centre For Peace In The Balkans には、遺体の写真が掲載されている。
(2002年9月撮影) NATO軍用機から発射された精密誘導爆弾は、計5発。すべてが大使館敷地内に落ちた。うち3発は大使館の五階建ての建物に命中、1発は大使公邸裏、1発は大使館中庭で爆発した。 犠牲者は、大使館内にいた新華社通信特派員1名、光明日報特派員2名(夫婦)、軍駐在武官は重傷。20名が負傷した。 新華社通信は、当然のことながら中国共産党に所属しているため、特派員(皆、セルビア語を話せる)は“スパイか?”とも言われた。中国は、セルビア寄りの姿勢をとっている。 また中国がユーゴ側に、在ユーゴ中国大使館の通信設備を使用するのを許していた(中国はステルス戦闘機を発見するための手伝い/巡行ミサイルのモニタリングをしていた疑い) 、そのため、標的として在ユーゴ中国大使館を攻撃リストに入れた、という噂もある。 *
(2002年9月撮影) 玄関前の献花は干涸らびていた ワシントン・ポスト紙(1999年5月10日付)の報道によれば、「中国大使館へ、精密誘導爆弾攻撃(空爆)を行ったのはB2ステルス爆撃機(B2は衛星誘導型の2,000ポンド爆弾を16発装着可能、レーダーに捕捉されずに多数の目標を爆撃できる)」と言われている。このB2は、アメリカ本土ミズーリ州から直接ベオグラードに飛来、中国大使館を空爆して速やかにアメリカ本土に帰投した。 NATO軍のヨーロッパ諸国軍によれば、「全NAOTO軍レベルでは中国大使館“誤爆”作戦の立案など関与しておらず、全く知らなかった。アメリカ軍の単独作戦・実行である」、との話しもある。
「コックス報告書」 ベオグラードの中国大使館を爆撃した翌日からアメリカでは、「中国が過去20年以上、アメリカの核兵器技術を盗み出していた/中国に対する警戒感を高める」とする報告書の存在が噂された。正確な誤爆から約2週間後の1999年5月25日、アメリカ下院特別委員会は「コックス報告書」としてまとめ、正式発表された。 クリントン政権は、「コックス報告書=核兵器スパイ問題」を出して、アメリカ内の反中国感情を煽り、中国大使館の誤爆事件を逸らそうとした、とも言われる。 中国国務院は「コックス報告書は米国がでっちあげたであり、反中国感情を扇動し、中米関係を破壊しようとする茶番劇」と題する政府見解を発表している。
ベオグラードの反NATO空爆キャンペーンのシンボルマーク History: NATO Aggression
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