《 中華人民共和国 》

明代様式のモスク《懐聖寺》Huai Sheng Si
撮影場所:廣東省、広州市光塔路

前門

(中庭より撮影)

灰色の塔は「光塔」と呼ばれるミナレット

懐聖寺(Huai Sheng Si)の創建は、中国にイスラーム教が伝播した唐代後期、中国最古のモスクのひとつ、とされる。

懐聖寺(Huai Sheng Si)の名称は「聖人(イスラームの預言者ムハンマド)を懐古する」という意味、だそうだ。懐聖寺周辺は、海上貿易(東西貿易)を主な商いとし、イスラームを信仰するアラビア商人の居住区《蕃坊》だった。

敷地内にあるミナレットは「光塔」と呼ばれ、唐時代に造られ、現存している。高さ36.6m(レンガ造り)。唐〜宋代、広州は主要貿易港でもあったため、「光塔」はミナレットとしての役割の他、燈台のような役割も果たしていた。それゆえ、懐聖寺の別名は「光塔寺」である。

中国のイスラーム教徒の男性は《清真寺》、女性信者は、女性信者専用の《清真女寺》へ礼拝に行く。一日の礼拝は5回あるが、全ての礼拝をモスク《清真寺/清真女寺》で行う信者は少ない(礼拝はどこでやっても可のため)。

女性信者専用の《清真女寺》は《清真寺》の敷地内にあったり、少し離れたところにあったりする。《清真女寺》がない地域では、《清真寺》の礼拝所内をカーテンなどで仕切って使っている。

※イスラームは、七世紀頃、西方から中国に伝わった。現在、回族、ウイグル族など10の「少数民族」の人々に信奉され、信者人口は推定約1,800万人とされる。現在、中国全土にモスクが3万余カ所あり、モスクに帰属する聖職者イマム(男性)、アホン(女性)は、推定4万余人いる。

文化大革命時(1966年8月〜1977年8月)、激しい宗教弾圧があり、紅衛兵組織(毛沢東派)によってモスク《清真寺/清真女寺》は破壊されたり閉鎖されたりした。イスラームの教義では、信者は土葬に限られるが、文革時は火葬にされたこともある。宗教指導者(アホーン)らは弾圧され、処刑された者もいる。1980年代になり、宗教活動は再開された。

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文化大革命

1965年11月、毛沢東は「反毛沢東派」を一掃するため、毛沢東がイニシアチブをとり、大衆を扇動したプロレタリアート「文化大革命」をおこす。文革は、ブルジョワジー(地主など富裕階級、知識階級)の一掃/中国型共産主義の徹底が骨子だった。

搾取階級(ブルジョワジーを指す)が守ってきた“古い思想、文化、風俗、社会習慣、宗教”を徹底的に叩き潰す、というスローガンにより、大衆《紅衛兵》によって、多くの文化遺産が破壊され、宗教は否定された。特に少数民族の文化、宗教施設が狙われた。またブルジョワジーとレッテルを張られた、多数の人々が殺害された。

この文革は、毛沢東の嫉妬からおきたものと言われた。毛沢東の死去、文革を直接指導した四人組の逮捕を経て、1977年8月に終わった。