《 中華人民共和国 》

▼行き方

「湖抗鎮」フーコーズン から約2km(バイタクが便利)。
「湖抗鎮」までは、廈門またはからの“永定”行きのバスが「湖抗鎮」に止まることが多い。廈門またはからの“永定”行きのバスは、経由地(ルート)が色々あるので、事前に確認が必要。他、近隣の町からのミニバスなどの便も多い。

客家円楼:振福楼 ジェンフーロウ
撮影場所:福建省永定県湖坑鎮下南渓村

振福楼:1912年建造。3階建て、2重円の《内通廊式円楼》

振福楼の住人の大部分は、国共内戦〜文化大革命前後に、台湾や香港に移住(ちょくちょく訪れているそうだ)してしまった。現在は1家族のみ居住していて管理人を兼ねている。入り口をくぐると、小規模の土産物を売るブースはあるものの、無料で見ることが出来る。

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住居は、メゾネット式(2つ以上の階を垂直にまたがる集合住宅の様式)。

入口は《大門》タアメンといわれ、この大門をくぐると門庁 マンティンがあり、祖同(祖堂)ツウタン へと直線の通路で通じている。門は一般的には1カ所のみだが、客家人の大型の円楼では《小門》があることが多い。

振福楼は《内通廊式土楼》と呼ばれ、同心円の2重円構造になっている。外円楼の内側に《環状の建物》が建つ。内部には、祖同(祖堂)が建つ。

房(部屋)は、概ね、間口(前面の幅)が2.5〜3m、放射状に並んでいる。奥行きは3〜5m程度。1階はすべて厨房と食堂。2階は全て糧庫、3階が居室となっている。

《内通廊式土楼》は、2階以上の各部屋(各世帯)を横につなぐ、《走馬廊》ツオウマアラン と呼ばれる回廊を持つ。円楼の内周をぐるりと囲っていて、内側全体をひと目で見渡すことができる。

円楼・方楼は、外壁のみ土のブロック(土台は石組)でつくられ、内部は杉材など木材100%でつくられる。ただし隣家との壁は、木材でつくられているので、隣家からの音漏れがある。《内通廊式土楼》は、各世帯のプライバシーを重視するより、集団防衛(火事も含む)のための対処を重視している。

しかし土楼は、夏は涼しく、冬は温かい。夏は、ぶ厚い土壁が陽射しをさえぎり、冬は風と冷気をブロックする。雨期には、土壁が湿気を吸い取る。

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祖堂

写真の左側の石作りの中央の建物は、祖先を祭り、催しを行う《祖堂》。一般的に円楼の祖堂は、中心部に配置する。1家族しか住んでいないものの、保存状態はすこぶる良い。

祖堂を取り囲むように、住居部分がある。
1階が台所または食堂、2階が物置または寝室、3階が寝室になっている。この土楼は、階段は2カ所ある。

1階の住居部分
1階は台所兼食堂になっている。

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客家土楼

正真正銘の漢民族でありながら“流浪の民”である客家人が定住した、福建省と広東省の省境一帯地域のほとんどは、山間の辺境地だった。この地域は、盗賊団や猛禽類が度々出没した。清朝時代、社会が安定すると人口が増えた。土着民と客家人の争いが始まる。客家人は、外敵から身を守るため、高い外壁で囲った中に住む必然性があった。

客家人は、一族がまとまって住める大規模な要塞形式の家屋、防御を重視した《方楼》を建てた。だがこの地域には建設資源が乏しかった。客家人は、農耕に適したと土地はほとんど持てなかったため、商人や工業に従事していた者が多かった。

こういった事情から、生活は基本的に自給自足で、男性は勉学優先、主に女性が野良仕事を担当した。故に、客家人は纒足(てんそく)の習慣を持たなかった(持てなかった)。

約400年前、客家人は、商いを通じて、福建省と広東省の省境の沿岸〜平野〜盆地地域あたりに多く建つ、《銃眼》や分厚い外壁を持つ、つまり「砦」を兼ねた強固な「方楼」や「円楼」の存在を知った。客家人はこれを真似て、方楼や円楼をつくることを覚えた。

特に円楼は、使用する資材も少なく、防衛上(方楼より)死角が少ない。更に、円形ゆえ、各世帯に与えられる割り当てに不公平感(日照や広さ)がなかった。

土楼(方楼・円楼)は一般的に、1階:厨房と食堂、2階は糧庫、3〜4階は居室になっている。円楼は、円楼がつくられる前に主流だった《方楼》をそのまま円形にしている。

客家人が住む僻地では、防衛上必要だった専用の《銃眼》はナイ・少ないが、外円楼は建物全体を守る城壁のような役割をはたしている。だから外円楼の1〜2階には窓はない。大規模な土楼ですら、大門は1つ、小門は1〜2個しかない。楼全体が《村》という様相になっている。

内部には、食料が保管される糧蔵があり、食糧の保存のノウハウがある。内部では豚や鶏を飼い、井戸もあるので、1年近くは籠城出来るらしい。

近年では、第二次世界大戦時の日中戦争や、第二次世界大戦末期からの国共内戦(中国共産党と国民党の内戦)で、一部の方楼や円楼は危機にさらされ、断片的に何ヶ月か立て籠もったこともある、そうだ。

また、極左的な文化大革命期(1966-1977年)は、洗脳された《紅衛兵》が土楼内部の華麗な彫刻や調度品の破壊を行った。


2001年3月撮影